ロシアツアーレポート 2019年3月1日〜4月9日 ロシア全土横断
今回で2回目となる『ロシアツアー2019』前回は2016年だった。
初めてのロシアツアーも大変だった事を思うと、演目は勿論の事、楽器の輸出入の通関、ツアー中楽器の運搬や搬入・搬出はもう『覚悟』するしかないなと思わざるを得なかった。
大阪での公演を終えるとすぐに税関に申請する書類の作成に取りかかる日々に追われ、輸出入や移動に耐えうる梱包をどうすればベストなのか、どうすれば輸送の際に破損を抑えられるかという事を考えた。
ヨーロッパツアーの時には、いくつかの木箱に分けて入れこんで持って行けば済むが、ロシアツアーでは移動手段が飛行機の場合、その都市に運航してる飛行機が小さい為個別で持っていかなければならないという事に…
ロシア人気質といえば反感や批判が有りそうだが、出発直前になってもツアースケジュールが不透明?不確定?という箇所が多々あり、この都市から次の都市までの移動はどうなってるの?と不安に思うところばかりでした。
色んな事を想定した結果、大きな太鼓はバラバラに分解出来るものを、そして重量が大きくなりすぎない事を考慮し、コンサートの構成を考えた。
いよいよ出発の日を迎えた2019年3月1日、朝から梱包材料の買出し等の作業をして、夕方稽古場へ向かい最終気になる箇所だけリハーサルをし、皆で梱包作業をしてトラックに積み込み、成田へ向けて出発。
稽古が終わって出発したのは夜中2時。成田までの道のりをトラックで、久々の凸凹トリオのAKIRA・TERU・今回ゲストで入ってくれたKATSU。
勿論僕は凹で2人が凸はいうまでもない。
成田空港に着くも他のメンバーが到着するまでにトラックから大量の太鼓や太鼓の台を3人で降ろしカートに乗せる。建物の自動ドアから少し離れた場所を確保しそこに溜めておく。
これだけの物量…通関が不安で仕方ない。
勿論、フライトスケジュールというものが存在するわけで…どのツアーの時にも手続きがギリギリなので毎回空港を走る結果に。そうならないよう、早め早めにしてるにも関わらずこの時のツアーも搭乗前に走るという結果に。
もう、この手続きってどうにかならないのか?って本当に思う今日この頃。
輪をかけて、案内してくだっさった方が超絶の早歩き…おかげで飛行機には乗り込めたが、汗だくなのである。
二日目、成田空港からウラジオストクまで2時間30分のフライト
ウラジオストクで乗り継ぎ待機時間10時間…
ウラジオストクからノヴォシビルスクまで6時間15分のフライトでようやく到着。そこからケメロヴォまで車移動でこれまた5時間…
ロシアはやっぱり広い。そして寒い。
久しぶりに会ったツアーコンダクターのビタリー。彼無くしてはこのツアーを行う事が出来ないが、彼はくせ者という記憶が蘇ったのは僕だけではなかったハズ。
主宰が不在なったときには彼は僕の事をBOSSと呼び何かと意見を求めてくる。くせ者ではあるがこのツアーを乗り切る為にはしっかりとコミュニケーションをとって乗り切らなければ…
そんな僕の為に、大きな強い助っ人を用意していた。
その名も『ポケトーク』笑
何公演かまでは主宰監督と通訳も同行予定だが、数日経てば主宰は振り付けの為に日本に帰国、通訳は学生なので学業に戻るとのこと。
主宰が戻られる前に舞台・音響・照明の進行の仕方を勉強しつつ、舞台上では現地スタッフとのコミュニケーションを取るためにバトンのup・downや返しスピーカーのボリュームなどなど、各セクションとやり取りをする。
地域によっては、というかほぼ英語が通ずロシア語のみ。
まぁ英語が話せない僕にとってはそもそも1からのスタートなので、とても良い機会となり日に日に現地スタッフとうまくコミュニケーションを取ることが出来るようになった。今となっては何ひとつ覚えてはいないが…
バタバタで日本を出発して3日、いよいよ初日を迎えた。
張り詰めた空気感はハンパなく、メンバー一同このツアーを大成功させようとする意気込みがみなぎっていた。
ノンバーバルの僕達の公演は日本であってもヨーロッパであってもロシアであっても反応は共通ではあるが、海外ならではのオーバーアクションの反応は格別でいいスタートを切ることが出来た。
初日はロシアの真ん中あたりでカザフスタンやモンゴルに近いケメロボ州のノボクズネツクという都市。
ロシア=寒い というイメージだったが、外以外は基本暖かく全然寒く感じない。むしろリハーサルでは汗だくになるぐらい。心配症の僕は寒かったらダメだと思い厚手のインナーやスパッツを余分に持っていってしまう荷物が多くなるタイプなので、スーツケースもリュックも常にパンパンで移動は一苦労。
初日の都市のノボクズネツクも、非常に暖かい都市だった。
公演の第一部のスタートは所作的なところから始まりこれぞ日本!というイメージの、大太鼓の心地良い変拍子のリズムと能管から始まる楽曲で一打一音緊張感ある雰囲気で最後まで突き進む。
2曲目は打って変わりその緊張をほぐすかのような楽しいイメージに、舞台の上手・下手とメンバーが縦横無尽に動き顔見せ。
客席近くにいくとお客様の反応が目に入る。しっかりと自分たちの演奏が届けられてるか…そんな思いをしながら演奏に臨んでたメンバーも居たみたい。
3曲目は舞台中央に据え置きの大太鼓を男性5名で打つ力強い曲、バチを振り上げたり回したり太鼓の周りを回ったりとキレのある動きを取り入れる。
次の曲はマイムの要素を取り入れ芝居仕立てに、また下駄や番傘を使用しての演目で、とても日本を感じて頂ける作品となった。
次は、複雑な細かいリズムが多い締太鼓を使ったバトル演奏曲。この曲は息の合った二人羽織の演奏が日本でも人気のある作品。
そして第一部のラストは大太鼓と三味線から始まり最後は桶太鼓や組太鼓・締太鼓も加わり大勢での圧巻の演奏に、緩急ある演出で終える。
そこから一息休憩を20分はさんでの第二部は第一部とは変わってこれぞ「天鼓ワールド!」かかえ太鼓を使用した「ハナー」締太鼓を使っての「コント・デ・和太鼓」
スネアドラムやシンバルなどのセットと三味線や太鼓を使っての「ネオロック」演奏途中でロシア民謡などを急遽取り入れお客様に口ずさんでもらうような事をしてみたり、日本でもお馴染みの曲をレパートリー。
「Together」ではお客様と一体感があるステージに。手拍子でステージにお客様を呼び込み写真撮影やインタビュー、ここでも頑張ってロシア語でインタビューを。
前にも記したように、にわか仕込みのロシア語なので一方的な質問を…
長い答えが返ってくると、もう何を言っているのか分からずあたふた。
日本でも方言があるように、ちょっとした事で通じなかったり…でも僕が言ったことが伝わると「そうそう!」と縦に振って頷く顔を見るとやっぱり感動。
ただ伝えたいと思う心が相手に伝わり、自分からは理解して欲しい!相手側は理解しよう!としてくれると伝わるもんだな。と痛感。
音楽には国境はないけどやはり言葉は大切。第二部最後の前にはKANAKOのMC。
今まで数々の海外公演でMCをしてきたKANAKOはここでもロシア語でのMCを。長文ではないけれど、今グループとして伝えたい事、彼女自身が伝えたい事をその国の言葉で伝える彼女はとても素晴らしいと思う。
最後は定番の「明日に向かって打て」全身全霊で打つこの曲は会場に来てくださったお客様に沢山の思いを届ける。
演奏が終わった後のお客様の拍手で今までやってきた事が報われる…そんな気持ちにさせてくれる。
公演が終わってからホテルまでの帰路で次回の公演に活かせられるように、その日の公演の反省会を車の中で行う。
司会はレンマ。
みんなが意見を出し合ってココはこうしようなど、日々の公演内容や楽器の立ち上げ・搬出の改善点などを話し合う。
そのおかげで公演日数が重なるごとに、徐々に諸々のことがスムーズに運び、音響や照明のセッティングまでの時間を有効に使うことができた。
こうして「ケメロボ」「トムスク」「バルナウル」と公演が終わって移動を4日間続いた。
次はロシアでも北部に位置し永久凍土の上に建てられた都市では世界最大の「ヤクーツク」という都市。
僕達が行った時の外の気温はマイナス42度。1月ごろにはマイナス63度にもなるという。
現地の人に言わせてみればマイナス40度は暖かい方だよ。と。確かに寒いのは寒いけど思ったほど寒く感じなかった。
ホテル近くの市場には動物の肉や魚がそのまま売られていた。外の気温はマイナス40度。冷凍庫の温度よりも低いので全ての商品がカチンコチンに。
肉も様々な種類の肉があり牛・豚・鳥・羊・兎などなど、原型に近い売り方をしてるお店もあり日本では見る事がない光景にメンバーもビックリ。
長距離移動は当たり前で、バスでの14〜15時間やシベリア鉄道では21時間電車の中など、ロシアは広いので移動が本当に大変だった。
飛行機と言っても公演をする都市の近くに空港が無かったりすると、移動がバスになってしまう。
楽器とともにシベリア鉄道で移動する事になっていたある日、公演で使用する全ての楽器をホームまで持って行くと何やら運び屋のスタッフと鉄道員のやりとりが…
見るからに「電車の間口が小さく太鼓が入らないような…」というのがすぐに分かった。
どうするつもりかな?と思っていたら、ホームから楽器を外へ持って行き出した。
どうやらトラックを今から手配して次の公演する都市まで運ぶとの事。
それにしても鉄道で20時間ぐらいかかるのにバスで運ぶの?どういうネットワークで運ばれるのか興味と一抹の不安はあったが、何よりそのタフさにロシア人はすごいなと感じた。
総移動距離を数えるととんでもないくらいの距離になりそう…
音響スタッフ1名だけは最初から最後まで同じ方が同行してくれたが、舞台・照明のスタッフは劇場ごとに代わっていってたので大変だったが、どの劇場でもとても良いスタッフに恵まれ、またサポートしれくれたメンバーにも感謝。
全日程の公演も無事に終え、楽器達を日本に送る作業がとうとうやってきた。
マネージャーを含め、僕以外のメンバーは一足先に日本に帰国。
僕はツアーコンダクターのビタリーと残って最後に公演をした劇場に楽器をピックアップし、トラブルにならないように書類も揃え保管倉庫へ、楽器も預けたという事で一安心。
車に揺られ空港へ。空港に到着したらビタリーも降りてきた。
僕は帰りの飛行機のチケットを確認するとフライトは明日の夕方…
今日は空港近くのホテルに泊まるのかな?と思っていたら、
ビタリーが「BOSSフライト時間は何時?」と聞くので
僕が「明日の夕方だよ」というと
「何?明日?今日じゃないの?」と…
そう会話した途端、嫌な予感が的中。
「僕はもう帰るから適当に空港で時間を潰して」と言い残し、彼はそのまま自宅へと帰って行った。
スーツケースや重いリュックもあったので、チケットカウンターが開く明日の昼過ぎまでベンチから離れる事ができず、トイレに行くにも荷物を持って行動し、寝転がる事が出来ないベンチで一人過ごすことに。
荷物の事が心配で熟睡することもなくチケットカウンターが開いた時にはようやくホッとした。
無事にモスクワ空港まで到着するも成田空港までの出発時間までこれまた数十時間ある…
悩みに悩んだ結果、スーツケースと重いリュックを預け所に預け、電車を乗り継ぎ、有名な世界遺産の「赤の広場」まで一人で行くことに。
看板を見ても分からない文字だらけ、しかも2、3回乗り継いでやっと到着。
到着すると、外は小振りの雨だったが、赤のレンガで有名なクレムリンの城壁は、総延長がなんと2.25km。圧巻の凄さでテンションが上がった。
またレーニン廟は1924年に死去したロシア革命の立役者レーニンの遺体が永久保存されている。聖ワシリイ大聖堂はカラフルな外観が独特で屋根が煉瓦で出来てて全てが玉ねぎ型のドームになっている。外からしかみていないけど歴史溢れるとても素晴らしい建物だった。
公演がある喜び、お客様の前に立てる喜び、バタバタながらも充実した毎日で、初めから最後まで色々あったが、最後は生涯で行く事が出来ないかもしれない場所まで勇気を出して行って良かった。
これからも和太鼓を通して日本全国、世界各国を周り和楽器の良さを広め世界が一つになればと願う毎日である。
紅 輝