Tour report

天鼓のコンサートツアーレポート

中東コンサートツアーレポート   2004年7月24日~8月17日シリア・レバノン・ヨルダン・エジプト


2004年夏、約1ヶ月に渡り訪れたシリア・レバノン・ヨルダン・エジプトの4カ国を巡る中東コンサートツアー。

真夏の日本を出発して18時間。まず到着したのは気温36℃のシリアの首都ダマスカス。

シリアといえば「イスラム国」の暗躍が記憶に新しく、2011年以降、内戦やテロの影響で急激に情勢が悪化し、外務省により渡航が禁止されている。2004年当時は現在の退避勧告という切迫した状況ではなく、特定の場所以外は渡航が可能な時代だった。

それでも当時、メディアを通して「中東 = 危険」という図式がステレオタイプ的に認知されており、渡航にあたり家族や親戚からとても心配された。

しかし実際現地で出会ったシリアの方々のなんとフレンドリーなこと!
温厚で、とてつもなく親切そのもの!
楽器を運ぶにしても、灼熱の中自らすすんで手伝って下さる。
順調な滑り出しに思われたこのツアー。

ところがコンサート当日になっても音響照明の機材やお願いしていた大道具が届かない。海外公演では日本とは同じようには事が運ばないことはよくあるが、コンサート当日の昼を過ぎても到着しないという事態にはさすがに焦った。

焦りの色を隠せずシリア人スタッフに「いつ到着するのか?」と何度も聞くのだが、シリアの人たちは一向に動じる気配もなく、返ってくる言葉は決まって「インシャアッラー」、つまり「神の思し召しのままに」ということらしい。

そもそもイスラムにおいて、「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」という表現にもあるように、神は絶対的な存在で、人間が勝手に未来を決めるなんてことはあってはならず、人間の分際で未来を決めるなんておこがましいとの考え方が根本にあるみたいだ。

つまり「私たちは全力を尽くしており、その結果アッラーの思し召しがあれば必ず間に合います」と心から思っているシリアの人たち。

結果、ギリギリ間に合った機材のおかげで、天鼓の中東初のコンサートは、熱狂的な盛り上がりの中、大成功で幕を閉じた。

これからツアーが終了するまでの間、この「インシャアッラー」が私たちにつきまとうことになるのだが、この時はまだ知る由もない。

この日の終演後、中東の乾燥した空気と公演で喉がカラカラのメンバーのもとに主催者から大量のスイカが届いた。

このスイカのみずみずしいこと、初日公演無事終演の心地よい疲れの身体に染み渡る美味しさだった。だが、このスイカが新たな悲劇の引き金を引くことになることをまだ誰も知らない。

いよいよ次の国、レバノンへ陸路移動。街並みはかなりヨーロッパに近い。


公演する場所は首都ベイルートから北東へ約85km離れたバールベックという街。

目の前に突如現れたユネスコの世界遺産にも登録されているローマ神殿跡は息をのむほどに圧倒的で、2000年前のローマ帝国の興隆を感じさせる。

毎年その神殿の前に野外ステージが作られ、国内外からアーティストを招き行われているバールベックフェスティバルに天鼓は招かれたのであった。ステージから見る客席には3000席を超える椅子が所狭しと並んでいる。

いつものごとく楽器を搬入するところから舞台の準備が始まる。ところが遺跡の中の高台にステージがあるものだから、ステージ近くにトラックが入ることができない。聞けば楽器をクレーン車で持ち上げてステージまで運ぶのだそう。

日本では考えられない方法にメンバーは絶句。

他に何か方法はないものか…と思う間もなく、太鼓は遺跡の遥か上空40mまで持ち上げられていた。

日本人全員、「インシャアッラー」と思ったことはいうまでもない。
何だか中東の空気に慣れてきた自分たちが面白い。

炎天下の中、リハーサルが始まった…と思いきや、メンバー皆の様子がおかしい。

天鼓はコンサートの中で太鼓が縦横無尽に移動するので、位置決めという太鼓の位置を決める作業がリハーサルの大きな時間を占める。

その最中、太鼓の後ろでうずくまるメンバーたち。明らかに全員お腹を壊している。

昨日のスイカだ…

生水には細心の注意をはらっていたメンバーだったが、果物はノーマークだった…しかも日本から持ってきた下痢止めは一切効果がなかった。

恐るべしスイカ…

夜8時いよいよ開演。どのくらいのお客様が来て下さるのか不安だった僕たちの心配をよそに、目の前には3000人を超えるお客様!

悠久の歴史を刻んできたローマ神殿を背に3000人のお客様の前で日本の太鼓が鳴り響く。

そんな場所で演奏できていることの奇跡と、その3000人の皆さんによるスタンディングオベーションの嵐に忘れ得ぬ夜となった。

これが一夜限りではなく、なんと2days公演。のべ6千人のお客様に恵まれ、夜には大使公邸にお招きいただくなど、特別尽くめのレバノン滞在となった。

それでも10年前まで内戦が続いていた影響で、街中には至るところに自動小銃をもった軍人が歩き、ホテルや大使館では金属探知機などでのチェックは当たり前。

この平和の象徴である音楽フェスティバルがこれからも続いていくことを願いながらレバノン滞在最後の夜は更けていった。

一行は空路ヨルダンに入る。首都アンマンから北へ50kmのジェラシュという街がヨルダン最初の公演地。紀元前に栄えた都市が砂に埋もれ、今から約70年前に姿を現したという非常に保存状態のいい遺跡がある。

古代の街がまるまる現代にタイムスリップしてきたかのようなこの街を歩いていると、まるで古代ローマ時代にいるかのような錯覚を起こす。

その中にある野外ローマ劇場で公演が行われた。実際に紀元前に存在したであろう劇場で和太鼓を演奏するその特別な感覚は、後にも先にも忘れることのできない経験であった。

 

公演の最終地、エジプトに入る頃には、中東の料理や水にも慣れ、徐々に体調も回復していったメンバー。

首都カイロの観光名所である「ムハンマド・アリ・モスク」前に特設ステージが組まれ行われるシタデルフェスティバルがカイロ公演の会場となった。

その荘厳なモスクを横目に、小高い丘に組まれたステージからはカイロ市内を一望できる。

遠くにはピラミッドも見える靄のかかったカイロの街は幻想的で、ここまでの中東各国の空気を吸収しながら進化してきた天鼓の和太鼓エンタテイメントは大きな喝采をもって迎え入れられた。

その公演はエジプト全土にテレビ中継されたそうだ。

現在も多くの国で内戦や戦争が起こっている。
実際いまはシリアには渡航することはできないし、私たちが訪れたベイルートやジェラシュでもテロがあったという悲しいニュースに触れる度に、その時共に舞台を創った現地スタッフの方々や、観に来て下さったお客様のことを思い出す。

平和あっての音楽、文化、エンタテイメントではあるが、逆に僕たちのしていることが平和への一助となることができたならなんと幸せなことだろう。

様々な歴史や文化アイデンティティの異なる者どうしが音楽で一つになれたこのツアーのことを思い出す度、微力ながらまだまだ私たちができることがあるのかもしれない、そう思えることが今の自分たちの原動力になっているのかもしれない。

坂ノ上 アキラ

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