ウーロフェスティバル公演レポート 2017年6月1日〜27日 オランダ・テルスヘリング島
オランダはテルスヘリング島。毎年6月に行われるヨーロッパ最大の演劇祭oerol festival。
和太鼓を通して人間の様々な感情を表現しようとしてきた私達に、とうとう演劇祭出演のチャンスがやってきた。
オランダは、私達にとって大切な場所。大好きな場所。憧れの場所。
そのオランダの地で新たなチャレンジができることに興奮し、初めてだらけの挑戦は稽古段階から大いに私達を悩ませた。
試練の一つは、このフェスティバルの一番の魅力であるステージだった。
このフェスティバルでは10日間の開催期間中、島のあらゆる場所がステージとなり多様なジャンルのアーティストが集まる。
今回の天鼓のステージは青い空の下、海辺の砂浜。
もちろん砂浜での公演経験は無いので、風や砂を想定したり楽器のセッティング方法を考える事から始めなければならなかった。
最大の試練は、私達に課せられた公演テーマだった。
今回天鼓がなぜ砂浜で公演することになったか。
それは、「津波」をテーマに公演を行ってほしいと依頼されたからだ。
私はこのレポートを書くまで、自分たちが「津波」をテーマに公演した事を話すことができなかった。
日本という島国に生まれ育ち、幼少のころに体験した阪神淡路大震災の記憶。
地震大国として避けて通ることのできない津波という自然災害。
特に東日本大震災で痛感した自然の恐ろしさ、ショッキングという言葉では到底言い表すことのできないあの映像、多くの人が大切な人を失い、今もなお傷つき続けていることを知っている日本人の一人として、このテーマを上演することはある種の背徳感のようなものを感じられずにはいられなかった。
東日本大震災を実際に経験したわけではない私達がこの作品をやるべきか…
各々が自問自答し、葛藤し続けた。
この公演の中で一番苦しんだ部分かもしれない。
約二か月。
日本で様々な想定をしリハーサルを重ねた。
そうして出来たのが、北林佐和子演出の「付喪神-tsukumogami-」という作品だった。
テルスヘリングに到着すると、たくさんのスタッフが何日も前から作業をしてくれていた。
彼らは既に真っ黒に日焼けをしていた。
いつも私達をサポートしてくれているQuintusとMariaをはじめとしたオランダのスタッフ、ウーロフェスティバルのたくさんのボランティアスタッフのお陰で、会場の設営がどんどん出来ていった。
オランダは世界一身長の高い国なのだが、私が邪魔な場所に立っているとひょいっと持ち上げて移動させられるほど体格に差があり、私が砂浜に足を取られモタモタしている間にも豪快に作業が進んでいく様は本当に凄かった。
海辺は思ったよりも風が強く、いろんなものが飛ばされては皆で走って追いかけた。
実際には一度飛ばされたら見つからない物の方が多かった。
目や口や耳には容赦なく砂が入ってくるし、当然雨も降る。
何もかもが思い通りにはいかない。
「人間ってなんてちっぽけなんだ!」と、ありきたりだけど本当にそう思った。
拙い英語で聞きとれたところによると、別の会場では強風によって黄色い…丸い…何かが破壊されたそうだ。
会場設営も含め、リハーサルは10日間に及んだ。
今作品のタイトル「付喪神-tsukumogami-」
付喪神とは、物に宿る魂。精霊。
日本では、「長く使っているものには魂が宿る」というような考え方が古くからあり、この作品では東日本大震災の津波によって異国の地に流れ着いた様々なモノたちが、付喪神となって故郷を想い記憶を語り始めるというストーリーになっている。
実際に世界各地には、東日本大震災の津波によって流されたどり着いたモノがたくさんあったそうだ。
今回の共演者の一人であるNishikoは、「地震を直すプロジェクト」と称してそういったモノ達の修復を通し、震災の記憶に向き合い想いを巡らせる機会を作る活動をしている日本人女性だった。
彼女はパフォーマンスの中で津波の最高到達点といわれる40メートルまで凧をあげ、抗うことの出来ない自然の驚異を観客に伝えた。
そして、彼女が実際に修復した漂着物はステージである砂浜に展示され、私達はその漂着物達に宿る魂と共にそこに立っていた。
もう一人の共演者であるMaria Krey。
日本人のDNAを受け継ぐ彼女は、感情や言語化できない様々な事を具現化するヴィジュアルアーティストで、今作品ではインスタレーションと衣装を担当した。
彼女は会場の入り口から観客席まで、何本もの鉄の棒を等間隔に立てた。
観客は、入り口で渡される青く染められた布のリボンをそこに括り付け観客席へと向かう。
用意された2550本。
東日本大震災で行方不明とされていた方と同じ数のリボン。
私も皆と共に祈りを込めて結んだ。
リハーサル最後の日。
衣装を着て本番同様に通すランスルーを関係者に観てもらった。
最後のシーンでは、演奏しながら不思議と涙が止まらなくなった。
テルスヘリングでの生活はとても楽しかった。
朝は皆でトレーニングや掃除をし、朝食は恒例の食当で順番に作った。
ただ、とても大変だったのが自転車移動。
私達が滞在していたロッジからビーチまでは片道約11キロ。
自転車で行って砂浜で一日中動き回って、帰りもまた11キロ。
こういうところでも負けず嫌い根性に火が付き、男性陣と張り合ってしまう自分が悲しい。
帰りにスーパーに寄り道することもあるのだけれど、オランダのスーパーは本当に楽しい。
バケツみたいな容器に入ったジャム入りヨーグルト&フルーツジュース。
ソーセージ&チーズ。
ホワイトアスパラ&スモークサーモン。
なんといってもマヨネーズが最高に美味しくて大好き。
それから島の人達はとても親切。
フェスティバルの出演者だと察して声をかけてくれる。
海外公演の時はいつも思うけど、このテルスヘリングではいつもより「英語話せたらなぁ」と思う瞬間がたくさんあった。
ロッジに帰ると、いつもオランダ人のCindyがみんなの夕飯を作ってくれた。
明るくて陽気で楽しい彼女の手伝いを早くしたくて、帰りの自転車こぎも頑張れた。
私達のパフォーマンスを初めて観た時、涙を流しながら抱きしめてくれた彼女のことが、私はとってもとっても好きになった。
ステージ以外の部分や私の知らない所でも、改めて本当にたくさんの人がサポートしてくれた公演だったと思う。
付喪神の作品の中で、皆はそれぞれ違ったモノを演じた。
私は傘の付喪神。手には鳴子。
開演前からモゾモゾ、ユラユラ、ウロウロ。
付喪神の世界へ観客をいざなう役目を仰せつかった。
開演と同時に、どこからともなく集まる付喪神たち。
百鬼夜行のごとく何かに導かれて列を成す。
想いが溢れて激しさを増したとき、思い起こされる記憶。
初めて目覚めた時の記憶。
楽しく過ごした日々の記憶。
そして、あの日の記憶。
流されたどり着いた見知らぬ地で再び目覚めた時の痛みと悲しみと絶望。
痛みと。悲しみと。絶望。
一体どれほどのものだろう。
推し量ることの出来ない感情、ぶつけどころの無い想い、苦しみ・悔しさ、言葉を持たない彼らのやりきれなさ。
お前に分かるものかと言われても、「演奏」という手段を通して伝える事だけが、日本人アーティストとして自分が出来る唯一のことなのだと、作品を通して感じさせられた。
物語の終わり、付喪神たちは苦しみのなか立ち上がり故郷を想う。
そして全てを語り終えた後、再び自らが眠る砂の中に帰っていく。
割れたお皿・折れた箒、濡れて変形した靴。
心の傷が消えることはないけれど、
「言葉無き声に耳を傾けてくれてありがとう」
最後の笛はそんな気持ちで演奏した。
遠い国のどこかで起きた津波という自然災害。
ウーロのオーディエンスは、実際に被災された東北の方々やそれを伝えようとした日本人の我々に対して、懸命に心を寄せてくれたように思う。
私たちのパフォーマンスを観た後、Nishikoが修復した実際の漂着物にたくさんの人が声をかけ想いを馳せてくれた。
テントの中から見たあの光景は、生涯忘れることの出来ないものとなって深く深く私の心に残っている。
10日間20公演、気が付けばあっという間に千秋楽を迎えた。
リハーサル期間中は天気に左右されることが多かったが、本番が始まってからは奇跡的にほとんど雨に降られず、20公演全て上演することができた。
観客総動員数は6000人に及び、全公演soldoutで「付喪神-tsukumogami-」は幕を降ろした。
千秋楽の翌日、私たちのステージは静かな砂浜に戻った。
テルスヘリングでの時間は私にとって本当に特別だった。
感じる全てのことが初めてだったし、あの場にしかない物が信じられないくらいたくさんあった。
期間中に他のアーティストの公演を観に行く機会があったけど、着眼点や発想が独創的でロケーションも最高で感銘を受けた。
出演者が集まるパーティーに参加した時には、参加者の多様性やヨーロッパのアートに対する関心を直に知ることができ、これから自分が活動していく上での糧にしていけたらと思うことにたくさん出逢った。
凄まじい集中力と感受性を持ったオーディエンス。
クラウドファウンディングでの支援。
半端ないサポート力と愛で支えてくれたスタッフ。
この作品を作ってくださった先生方。
ユニークでチャーミングな共演者。
いつも一緒に舞台に立つ大切なメンバー。
人間の強さと弱さを教えてくれたこの作品。
素晴らしいテルスヘリングの大自然。
かけがえのない全ての事に最大級の感謝と、今回学んだ困難に立ち向かう勇気を忘れず、生きていく限り強くありたいと思う。
小林杏里